リップパック
※マスター視点。
「──何だソレ」
風呂から上がると、パンツ一丁で肩に掛けたタオルだけで胸を隠すダンサーが、口に白い紙みたいなのを張り付けてソファで寛いでいた。
もーコイツが半裸でうろちょろするのを注意すんのは諦めた。
同居人のクリエイターはコイツの裸に興味無さそうにしてたから襲われる心配無いだろうし。
「……ん、唇のパックしてたの。マスターもする? がさがさじゃない」
紙を剥がしたラージュは、まだあるし、と俺にも白い紙を一枚、差し出してくる。
ぷるぷるになるわよ、ってなってどうすんだ。
「先にクリーム塗らないとだけどね」
「やるって言ってねぇんだけど」
「手入れしないままとか私がムカつくのよ。いいからここ座る」
何ちゅー強引な……
がしがしと髪を拭きながら、言われた通りラージュの隣へ腰掛ける。
脇に置いてあったポーチからリップを取り出したラージュは俺の顎を掴み、有無を言わさずそれを俺の唇に塗りたくった。
何だこれ、バターでも塗られたみたいで変な感じがする。
そしてさっきの白い紙(意外につるつるしてた)を俺の唇へ張り付けてくる。
「よし、っと。じゃ、十分位このままにしといてね」
そう言い残すとラージュはおやすみーと手を振って二階へ向かってしまった。
えぇぇぇぇ。
放置かよ!
ちら、と時計を確認して、十分経つまで何しようと部屋を見渡した。
大テーブルの上に百科事典が置きっぱなしなのが見える。
……暇潰しにはなるか。
「……」
百科事典を手に取って再びソファへ腰掛け、ぱらぱらと捲っては気になったページを読む、を数度繰り返した。
分野問わず様々な事が載っているが、俺が目を止めるのは『石』類ばかりだ。
まぁ趣味だし……
……アクアマリン……ジェムシリカ……スピネル……ガーネット……レモンクオーツ……
……ん?
ふっと顔を上げて時計を確認すると既に十分以上が経過していた。
慌てて紙を剥がして立ち上がる。
「んー……?」
ぷるぷるに……なってんのか?
よく解んねぇな。
でも確かに日中はかさついてた唇が柔らかくなっている気が、する。
暫く指先でなぞっていたが何が変わる訳でもないのでいい加減俺も寝ようとリビングの照明を落として階段へと向かった。
「──おかえりー」
「ナチュラルに人のベッドで寛いでるんじゃねぇよこの野郎」
自室に戻ると同居人のクリエイター、イクロが寝間着姿でベッドに寝転んで本を読んでいた。
いつもは高い位置で結わえている髪も今は緩く肩口で適当に結んでいる。
「やー僕のベッド、今ちょっと寝れる状態じゃなくてねー」
「最近ずっとじゃんか。いい加減明日には片付けろよ」
室内の照明を落としてタオルを椅子の背に掛け、ベッドまで近付くとイクロの読んでいた本を取り上げサイドテーブルへ置いた。
口を尖らせてぶーたれてきたが、文句あるならリビングで寝ろ、と睨んだら黙り込んだ。
「そっち詰めろよ」
「ん。うん。もぅ寝るの?」
「明日早いんだよ」
サイドテーブルのランタンの灯りだけを残してシーツに潜り込む。
俺がさっさと寝るつもりなのを見てイクロも大人しく片眼鏡を外し寝る準備を進めた。
「明日はセージギルドの方かな」
「あぁ、ロゼも騎士団の派遣行くし、悪ぃけどルー頼むな」
すげぇ不安だけど。
「ん、ゲフェンへの買い付けに一緒に来てもらう事になると思うけれど……と」
俺の頭上を越えてサイドテーブルへ片眼鏡を置いたイクロは、俺の顔に視線を落とすと少し驚いたように何度か瞬きをした。
「? どした?」
「んー……唇、何かした?」
「へ?」
顔を近付けて来るイクロに思わず首だけ反らして逃げた。
「何か、って……さっきラージュがパックしろってクリーム塗ってきたり……」
「あぁ、なるほど。何か色が付いてるから」
「ちょ、近──」
押し退けようと振り上げた手は掴まれて、拒否権も無く口を塞がれた。
だが、舌が入ってくる気配は無く、ぎゅーと押し付けてきた後は何度も輪郭をなぞるように唇を舐めてくる。
少しくすぐったさを感じて僅かに首を振るとゆっくり離れていった。
「てめ……」
「何もしないよ。明日早いんだろう? おやすみー」
手の甲で唇を拭いながら睨み付けると、イクロはふっと微笑んで頭を撫でてくる。
文句を言ってやりたかったが言葉が見付からず、ただ鼻を鳴らしてヤツに背を向ける位しか出来なかった。
何かしてきたら明日の夕飯抜いてやる。
「──……」
朝食の後片付けをしていると、リビングのテーブルに着席したまま、手伝う気がさらさらない無いらしいラージュとイクロの話し声が聞こえた。
「ねぇ、マスター不機嫌だけど、何かしたの?」
「えぇー……僕は別に何もしてないんだけど……何故か起きたら殴られたんだよね」
「何かしたんじゃない」
「してないって。キスだけだよ」
「……それだけ?」
「それだけ」
「だからじゃない?」
「えっ、それじゃぁ期待さ」
「さっさと仕事行けお前ら!!!」